2013/10/02

小竹運輸グループ支部 建交労脱退についての声明

9月22日、建交労傘下の建交労小竹運輸グループ支部は建交労を脱退し、「小竹運輸グループ労働組合」を結成しました。当日、発表された「脱退声明」を掲載します。

小竹運輸グループ支部 建交労脱退についての声明

  本日、わたしたち組合員一同は、小竹運輸グループ内での組合運動を継続するためには、このまま建交労に所属することはできないとの判断から、組織規約にもとづき脱退することにしました。

この声明は、これまで小竹運輸グループ支部にかかわっていただいた方々と、これから私たちにかかわっていただく方々にむけて、脱退にいたった事情を説明するためのものです。

わたしたちは小竹運輸グループ(小竹運輸、K-ロジテック、つくばトランスポート、トランスーコ)において長年つづけられてきた小竹正雄による独裁的労働者支配と違法行為をなくそうとのおもいから労働組合を結成しました。2011年暮れに建交労に組織加入したときには、「これからは会社と正面から交渉して職場を良くできる」と組合員みんなが希望を持っていました。

しかし、その希望はほどなく壊されました。

まず、建交労茨城県本部の専従が、わたしたちの支部員名簿を会社の求めに応じてファクスで送ってしまいました。会社はこの名簿をもとに猛烈な組合員切り崩しをかけました。職場での組合への信頼は急落し、スタート直後から小竹運輸グループ内での組合運動は困難につきあたったのです。

さらに、建交労への組織加入の先頭にたっていた竹内書記長(当時)が、自分の不注意で起こした事故について、会社と示談するために、組合員との組織的相談なしに会社と折り合いをつけて退職してしまいました。県本部もこれを認めてしまいました。わたしたちはさらに困難ななかで少しずつ組合員を拡大しました。

決定的だったのは2012年11月30日に今井さんが会社構内で過労死したことです。

この過労死の責任者である小竹正雄は「こんなところで死にやがって」とはき捨てるように言い、過労死への反省も遺族への謝罪もありませんでした。今井さんがなくなった事故現場には花が飾られることもなく、労働基準監督署への届出は2ヶ月近く遅れました。わたしたちは「今井さんは組合員ではなかったが、同じ職場の仲間だ。それが過労死してしまった。明日は自分だ。」との思いから、この問題に取り組むことを決めました。

しかし、県本部と中央本部の対応はきわめて鈍く、結局わたしたちはほとんど支部単独の力で労働基準監督署への申請準備をするしかなかったのです。特に、今井さんと同じ部署にいた高山組合員が過労死問題で会社を追及しはじめたとき、小竹正雄は高山さんに不当ないいがかりをつけ、1週間の出勤停止という重い懲戒処分を行い会社からの追い出しを狙いました。これにたいして、わたしたちは県本部と中央本部の応援がないなか、手探りで出勤闘争を行いました。今年5月には、処分をのりこえて、労働基準監督署から過労死認定をかちとり残されたご家族への支給を実現しました。ここから流れが変わりました。

いま、小竹正雄は追い詰められています。今井さんの家族からの損害賠償裁判をはじめ、組合から不当労働行為をやめさせるための労働委員会や仮処分提訴がたたかわれています。9月13日には渡邊組合員への出向命令を無効とする裁判所の決定が降りました。

ここにいたって小竹正雄は小竹運輸に200台以上あったトレーラーをK-ロジテック、つくばトランスポートに移し、小竹運輸には22台の車両を残し、組合員を差別した不当な配車を今も続けています。車両の大規模な移動は、過労死損害賠償から小竹正雄の財産を逃がすためのものであることはまちがいありません。

いま、わたしたち組合員は配車差別をされたうえに「1日5400円」という生活できない賃金を会社から強制されています。組合結成前に45万から50万あった賃金はこの8月にはついに20万を下回りました。8月は会社からいくらか未払い賃金の払い戻しがあったのでなんとかなりましたが、この9月には未払い賃金の払い込みの見込みはなく、特に家族をかかえる組合員にとっては生活が崩壊する危機が迫っています。

そこでわたしたちは何度も会議を持ちました。「おれたちはたしかに苦しい。しかし、会社はもっと苦しい。会社にやられっぱなしだったときから比べればかなりいいところまでいっている。ここをのりきれば会社との力関係を大きく変える展望はある。」との認識で一致し、建交労から当座の生活資金の不足分を借りて、時間をつくって支援の陣形を広げようという結論になりました。

しかし、建交労県本部と中央本部の反応は「そんなことはできない、そんな資金はない」と冷たいものでした。わたしたちは「このままでは支部がなくなってしまう、それでもいいんですか?」と訴えましたが、結論は変わりませんでした。

わたしたちは建交労に失望しました。建交労にはブラック企業とたたかい会社から攻撃され生活できなくなりかかっている組合員に貸す金も知恵もないということがわかりました。「もうこれからは建交労には頼れないな。」組合員全員が骨身にしみて理解し、今回の脱退となりました。

以上が今回の脱退にいたる主な経緯です。単独の労組として独立するのは不安もありますが、それでも大きな組織の中で絶望し続けるよりは展望があります。建交労から脱退するのは労働運動から離れるためではありません。わたしたちはこれからも職場で組合員の団結を強め、組織を拡大し、労働運動を強化します。

わたしたちは、あらゆる団体と個人のみなさんに呼びかけます。小竹運輸グループ会社とたたかうわたしたちへの応援と支援をお願いします。一緒に、ブラック企業・小竹グループ会社を追い詰めましょう。

2013年9月22日 建交労小竹運輸グループ支部 支部組合員 一同

合同・一般労組全国協議会サイトから転載

36万人の福島の子どもたちの命と健康を守るため、全国の力でみんなの拠り所となる診療所を建設しよう

福島診療所建設委員会

36万人の福島の子どもたちの命と健康を守るため、
全国の力でみんなの拠り所となる診療所を建設しよう

 子どもたちを放射能から守るたたかいに心を寄せるみなさんに、福島の地に命の拠り所となる診療所を建設する運動へのご支援、ご協力を心から訴えます。
 福島第1原発事故は、広島型原爆168発分もの1万5000テラベクレルのセシウム137がまき散らされるなど、チェルノブイリ原発事故をはるかに越える深刻な事態となっています。
 警戒区域、計画的避難区域などから避難している12万人、自主避難の6万人が家や生活の糧を奪われ、県内の36万人の子どもたちが生活し、遊び、学んでいる地域の75%が、放射線管理区域(毎時0.6マイクロシーベルト)を越える放射能汚染地域となっています。すでに原発周辺から避難した子どもたちの尿からセシウム134、137が検出されるなど、子どもたちの放射線被ばく、とりわけ内部被ばくは重大な問題です。一刻も早く、すべての子どもたちを放射能汚染地域から避難させる必要があります。
 しかし、政府が避難の権利とその補償を拒む中で、子どもたちの被ばくを心配しながらも、経済上のことなどで福島での生活を続けざるをえないのも労働者の現実です。山下俊一福島医大副学長などの「年間100㍉シーベルトまでは安全」、「内部被ばくは心配ない」などという言葉を、だれも信じてはいません。
 だからこそ福島の母親たちは、文科省に押しかけ、経産省前に座り込み、子どもたちの命と未来を守るためにたたかっています。それは9月19日の明治公園の6万人の反原発の行動となり、全国、全世界へと広がっています。すべての原発をただちに止め、福島の子どもたちの命を守る行動をともに起こしていきましょう。

 今、福島で切実に求められているのは、心と健康の拠り所となる診療所建設です。
 福島の子どもたちは放射能汚染による被ばくに日々さらされ、心身ともに息苦しい状況を半年以上も強いられています。お母さんたちの心配も、除染で取り除かれるわけではありませんし、子どもたちをモルモットのように扱う医療機関などとても信頼することはできません。今このときに、「ひょっとしたら放射能の影響では?」と不安になったとき、すぐに相談できる診療所が身近にあればどれほど心強いことでしょう。
 チェルノブイリの子どもたちには、甲状腺肥大とホルモン異常、貧血、頭痛、心肺機能の低下、免疫低下、加齢化の加速的進行、そしてガンの発症など、放射能被ばくによる様々な疾病が報告されています。

 これまでの近代医学の概念を越えた幅広い総合的な取り組みが必要となります。
 予防医学の原則に立ち、人間本来の自然治癒力を促す代替医療をも視野に入れた総合医療と、防護を念頭においた食卓、暮らしの見直しなど、いわば「生活革命」をも提案できる開かれた場が不可欠でしょう。
 診療所建設は決して簡単なことではありませんが、全国のみなさんの力をひとつにできれば絶対に実現できます。

 実際に、広島、長崎の被爆者は、医療も生活も切り捨てられるなかで「人間をかえせ」の声をあげ、たたかうことで自らの命を守り、医療を取り戻してきました。
 広島市の高陽第一診療所がその一つです。1970年、広島で二十歳前後の青年が相次いで白血病を発症しました。彼らは被爆者の父母をもつ被爆二世でした。強い衝撃を受けた被爆二世の青年たちは、自らの力で拠り所となる医療施設をつくろう、と運動を開始し、1972年にプレハブ建ての高陽第一診療所が建設されます。
 この運動をともに支えた被団協の故小西ノブ子さんは、高陽第一診療所を「被爆者の心の窓」と語られています。同じく協力された大江健三郎さんは、「そこには、あきらかな、実践的なるものと、教育的なるものとの、『生命、生き抜くこと』をめざしての融合がみられた。」と、当時の新聞に著しています。それから40年、高陽第一診療所は多くの人々の生き抜くことの拠り所となってきました。
 まさに生き抜くために、このような診療所が今の福島には必要です。全国の医師、医療関係者をはじめ、全国の力を合わせて必ず実現しましょう。
 未来をつくる子どもたちが、被ばくを心配して生きなければならないことなど、絶対にあってはなりません。安心して集い、何でも相談できる診療所をつくることは、みんなの団結で命を守り、医療を取り戻すたたかいであり、すべての原発をただちに停止、廃炉にし、原発も核もない社会をつくる運動そのものです。

 福島の子どもたちの命と心の拠り所となる診療所建設のために、基金運動へのご協力はじめ、多大なご支援などをいただきますよう重ねて心から訴えます。

2011年12月1日

わたしたちが呼びかけます
●福島から
 清野 和彦(元福島県教職員組合委員長)
 佐藤 幸子(NPO法人理事長)
 椎名千恵子(未来を孕む女たちのとつきとおかのテント村行動)
 橋本 光一(国労郡山工場支部書記長)
 市川 潤子(ふくしま合同労組委員長)
 鈴木光一郎(酪農家、ネットワーク「ゆい」福島)
 佐々木信夫(桜の聖母短期大学名誉教授)
 渡辺  馨(福島県労働組合交流センター代表)
●全国の医師から
 吉田 良順(広島高陽第一診療所所長)
 杉井 吉彦(本町クリニック院長)
 松江 寛人(がん総合相談センター所長)
 吉本 哲郎(熊手町クリニック院長)
 末光 道正(八尾北医療センター院長、八尾市議会議員)
 布施 幸彦(館林厚生病院医師)

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